※こちらは2018年3月に公開された記事の再掲です。
内定式に出席しなかったのは、 120人いる同期の中で僕ともう1人だけだったらしい。
もう1人が来れなかった理由は病気で、どうしても外に出られないほどの状態だった、とのこと。仕方が無い。
一方の僕はカンボジアに旅行していたら帰りの飛行機に乗り遅れてしまい、慌てて翌日の便に乗ったのだけど内定式に間に合わなかった。全くもって仕方が無くない。
結果的に、内定式のあと、会社の人事部に呼び出されるはめになった。ブチ切れた人事部のオジさんが、席に着くなり鬼のような剣幕で質問を浴びせてくる。
「お前は一体、何を考えてるんだ。」
人事部のオジさんの第一声は非常に特徴的だったので今でも鮮明に覚えている。「何を考えているのか」。質問の抽象度が高い。なんだか怖いなあ、と思っている。正直に言えばこれが今考えていることだ。
しかし、一体自分はなぜ「怖い」と思っているのか。この理由についてはきちんと考察しておいた方が良さそうだった。別にこの人事部の人がいきなり殴ってくるわけでもあるまい。だとすれば、何に怯(おび)えているのか。
恐らく自分は、目の前に座った目上のオジさんの顔が、その表情が般若面のように憤怒に満ちており、そのつり上がった眉毛を見て半ばオートマティックに恐怖を感じているのだろうと、そう思った。
実際、怒りに満ちて眉毛のつり上がった人が目の前に現れてこちらを見つめてくれば、理由の如何に関わらず誰でも恐怖するはずだ。だから、「何を考えているのか」、に対する、より正確な回答は、「あなたの眉毛が怖い」になる。
しかし、これは勘、というか経験則に基づく極めて大局的な推測になるのだけど、その回答をすると目の前に存在する「怖い顔」が、もっと怖くなる。そんな気がした。眉毛はもっとつり上がって、眉毛が完全に「縦」になるかもしれない。
その事態だけは回避したい。このまま、この眉毛と地平線の為す角度θが増大していき 90°を越えてしまう前に流れを変えなくては。そして少し考えてから、「すみません。」と答えた。
「何を考えているのか」に対して「すみません」という回答が、どの程度会話として適切だったのかは、分からない。少なくとも僕の中では意味不明だ。
しかし人事部のオジさんは鬼の形相のまま、話を続けた。「そもそも内定者が海外に行く場合は会社に届け出が必要だ。なぜそれをしなかった。」
なぜ届け出を出さなかったのか。具体的ではあるが、こちらも回答の難しい質問だ。あれ、そもそもその届け出を出さないといけないなんていうルールあったっけ、と思った。つまり回答は、「認識していなかった」になる。
しかし、「なぜ認識していなかったのか」については、先にこちらで深掘りしておいた方が良いだろう。自分が知らなかったとは言え、絶対にどこかで会社から通知されていたはずなのだ。
内定した時か? 内定者用のHPにのっていたのか? 忘れた。全く思い出せない。一度はどこかで知らされたけど、数カ月が経って完全に脳内から抹消された。
しかし、この「抹消された」という事実から一つ断言できるのは、少なくともそのルールを自分が「侮っていた」のだろうということ。自分にとって重要なルールや決まりであれば、そう簡単に忘れたりはしない。
例えば会社側から、「海外に行くに際し連絡をしない者は、その親族含め一族を皆殺しにします。」とどこかで通知を受けていれば絶対に忘れることはない。それほどのインパクトがあれば、覚えていただろう。
つまりなぜ届け出を出さなかったのかに対する、より正確な回答は「その決まりが地味過ぎた為、長期記憶として定着しなかった。」になる。
そしてこの回答をした場合にはどうなるのか。このオジさんの怒りのボルテージが、更に上がっていくはずだ。このつり上がった眉毛はつり上がり続け、やがて90°を越えて来る可能性がある。とうとう「縦」を越えて、「八の字」になってしまう。
いや、しかし、そうすると怒りに任せてつり上がっていったはずが、つり上がり過ぎて逆に「垂れ眉」になるのか? そうすると怖くなくなるのか? ん? 分からない。少し考えてから、僕は「すみません。」と答えた。
人事部のオジさんは何やら訝しげな顔をし、そしてついに最も重要な質問を繰り出した。「で、なんで内定式に来れなかったんだ。」
僕は身構えた。さすがにこれ以上「すみません」を繰り返すわけにはいかない。既にアホだと思われている可能性がある。この質問に対してだけは、クリティカルな回答を出さないといけない。
内定式に行けなかったのは、なぜか。改めて考え直す。僕は内定式の前日にカンボジアから帰国し、何事も無かったように内定式に出席するつもりだった。
しかし帰りの飛行機に乗り遅れたのだ。友人と共にカンボジアの空港に着いた時、我々が搭乗する予定の飛行機は丁度離陸を完了し、大空へ向かって力強く邁進していた。
では、なぜ乗り遅れてしまったのか。考えろ。急いで考えろ、何故だ。帰国便が飛び立つその日の昼間、我々3人はカンボジアのトンレサップ湖にいたのだ。
そこは東南アジア最大の湖で、水上生活を営んでいる人達がいた。そこに観光に行った。お菓子や文房具を寄付した先の孤児院の院長のベルトがドルチェ&ガッバーナだったのが印象的だった。
そこで「ワニ釣り」に参加したのだ。それに夢中になってしまった。その結果飛行機に間に合わなくなった。生け簀(す)の中のワニを釣り上げる、ワニ釣り。ワニ釣りだ。ワニ釣りのせいだ。
いや、ちょっと待て。しかし、なぜ「ワニ釣り」をし始めてしまったんだ? それはトンレサップ湖に行ってしまったからだ。ひいては、「カンボジアに行った」ということが、更なる根本的な原因だ。カンボジアに行った理由はなんだ?
それは、「仲の良い友人」だ。気の置けない友人と、楽しみたかったのだ。思い出を作りたかった。一緒に笑いたかった。だから卒業前に、カンボジアに行ったのだ。だから内定式に遅れたのだ。
でも、なんで「友人と楽しみたかった」んだ? なぜ彼らと一緒に笑いたかった? それは僕自身が、そういう時間を「幸せだと思っている」からだ。
では、なぜ「幸せ」になろうとしたんだ? いよいよ問題の核心に迫ってきた。幸せになろうとした。これこそが、内定式に行けなかった理由だ。チラっと顔をあげると人事部のお兄さんは般若面のような顔をキープしている。
「人生」
僕は結論に到達した。それは、「人生」だから。それこそが、自分の人生だから。幸せになることが、そのために友人と過ごすことが、カンボジアに行くことが、ワニ釣りをして笑い転げることが。例え飛行機に乗り遅れてしまおうとも、それが、「人生」だから。
考えてみれば、内定式に行けなかったことは必然だった。内定式に遅れないことが僕の人生だったら、きっと内定式の前日までカンボジアに行ったりはしなかっただろう。行けなかったのではない。行かなかったのだ。
そして僕は、今この状況で「人生だから」と回答した時の、その先の未来を想像した。どうも明るくはなさそうだ。人生だから。「Because it’s my life. It is now or never.」こんな論理は、Bon Joviくらいにしか通用しないだろう。
きっとこの憤怒のオジさんの怒りは頂点を突破する。眉毛はつり上がり続け、ついにθは 90°を突破し、臨界点を超越し、八の字を越えて再び水平に戻る。
そしてそのまま、彼の眉毛はクルクルと回り続けるのだ。人間の怒りというのは、突き詰めると「眉毛のトルネード化」という形で具象化する。恐ろしい。そのまま眉毛が高速で回転することで、相手の眉毛から相当量の風が、こちらサイドに吹き始めることになる。
そうするとどうなるのか、僕は後ろ方向に吹き飛ばされるだろう。眉毛の旋風により、僕という物質は強烈に平行移動をし始める。そして彼もまた、彼自身も強烈に後ろに吹き飛ぶはずだ。物理学の法則に従い、僕たちの距離は一気に離れていく。
吹き飛んだ僕は窓から外へ飛び出し、数百メートル先のビルか何かにブツかってから、「痛え」と言って立ち上がる。そして飯でも食うかと言いながらラーメン屋へと消えて行き、バリカタを注文してそれを食べ始める。細麺に濃厚なスープが絡み付き、それがひと時の幸せをもたらした。